2015年9月-9 放射線治療-1  思ったより楽? 勘違いでした

初めての放射線治療

9月18日、体幹部定位放射線治療の初日。

8月12日にステージが1Bと確定して放射線治療が可能と分かってから1か月。ようやくこの日を迎えることができた(感無量)。C病院放射線科の医師の見解が分かれなければ、もっと早く放射線治療へと辿り着くことができていたかも、という呪詛の言葉は封印します。今は治療に専念したいから。

いつものように自分で用意した昼食をすませ、地下鉄でE病院へ。

治療初日のため、照射の前に別室(面談室)で若い男性医師から、治療の簡単な説明と問診を受ける。髪の毛をツンツンと立ててロッカーのよう。いろんな医師がいるものだ。

放射線治療室に呼ばれて入ると、2人の放射線技師さんが迎えてくれた。共に20代半ばくらいの男性。

カーテンで囲った小さなスペースで上半身の衣類だけ脱ぎ、サンダルはスリッパに履き替え、用意してあったバスタイルで胸を隠して治療台へ。

すでに治療台には4日前に作ってもらった私専用の固定具がセットされており、その中に体を滑り込ませる。そのときに付けてもらった胸の十字の印がすでに薄くなっていたので、マジックで書き足してもらう。

技師さんは、固定具が当たっていないか、痛くないかなど、細かく聞いてくれる。むき出しになった肩や上腕が冷えてくるので、バスタオルをかけてもらう(装置が熱を持たないように部屋の温度は低め。冷え性の人はつらいと思う)。

技師さんたちは常に笑顔で、対応がすごく丁寧。接客業というかサービス業のようで、緊張している患者にとってはリラックスできてありがたい。両腕を万歳するように上げて、体が固定され、準備完了。技師さんたちが隣のモニター室へ入り、治療が始まった。

方眼のようなラインが入った透明なガラス板様のものが胸の上を移動する。方眼の交差した点が胸に描かれた十字の印を捉え、右肺上部の腫瘍に照準を合わせて放射線を当てる。かすかな電子音が数秒すると、1か所目の照射は終了。放射線が当たっているという感覚は全くない。

放射線は腫瘍にピンポイントで当たっているので、体が動くと標的からずれてしまう(健康な内臓に当たってしまう)。そのため、スピーカーから聞こえる技師さんの指示に従って呼吸をコントロールする。照射している間は、肺が激しく上下しないように、ゆっくり、ゆっくりと息をする。だんだんと深い海の底に一人きりで横たわっているような感覚に陥っていく。

ガラス板が移動し、別の角度から腫瘍を狙い、再び放射線を当てる。2か所目、3か所目、リニアックは次々と移動しながら、合計9か所からトータルで8グレイの放射線を当てて治療は終了。

初めての放射線治療ということで緊張していたが、痛くも痒くもなく、拍子抜けしたような心持ち。治療自体の時間は30分くらいだったか。

服を着て、放射線技師さんにお礼を言って退室。会計で8回分の放射線治療費をクレジットカードで一括払いし、E病院をあとにした。

体がギシギシと悲鳴を上げる

異変はすぐにあらわれた。

帰りの地下鉄の中で、座っているだけなのに、徐々にしんどくなってくる。全身の節々がきしみだし、骨の潤滑油が全くなくなって、ギシギシと悲鳴を上げているよう。体験したことのない感覚。何とか家に辿り着き、洗濯物だけ取り入れて、ベッドに倒れ込む。

関西の友人から電話。仕事で名古屋駅に来ているが夕食でもどうかというお誘い。なんたる間の悪さ。行きたいが起き上がるのも困難で、泣く泣く断る。夜8時に起きだして簡単な夕食をすませ、10時半には再びベッドへ。

喉が渇いて仕方ない。このまま容態が急変したらどうしよう。自覚はないが肺の中で出血しているかも。起き上がれず七転八倒するようなことになったらどうしよう・・・。一人暮らしはこういうとき不安だ。自宅で一人きりで死んでいった山口美江や飯島愛を思い出す。

いろんな不安が頭の中でぐるぐる巡っていたわりに、じきに寝入ってしまったようで、朝まで熟睡した。でも起き抜けは、やはり関節がギシギシする。

放射線治療が効いているから、こんな反応を示すのか(即効性はないという話だったが)。もしC病院で12グレイの照射を受けていたら、もっとひどい症状が出たのだろうか。

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