8月22日の続き。
向こう岸に飛ぶか飛ばないか、自分で決めるしかない
私からの質問。
–去年(2014年)9月に撮ったレントゲンには影がなかった。今年(2015年)6月、急に見つかった。
「(9月は)5ミリとかそれ以下だったかも。1センチぐらいなら見つかったと思う。だから比較的、成長が早いかもしれない」
–腫瘍がどんどん大きくなる。進行がんではないか。
「半年後、1年後に今より大きくなっている可能性は十中八九あると思う。大きくなると放射線(定位放射線治療)はやりにくくなる」
–今が正念場。放射線治療をするなら今しかないと。
「それは正しいと思う。症状がない人にはやめておいたほうがいいと言う。そういう人がほとんど。でも、あなたの場合は、本当に中立的な意見しか言えない」
–自分で決めるしかない。
「そう。質問には答えてあげるけど、どうしたらいいかとは言えない。何も症状がない人には、『検診で見つかったものは忘れなさい、たとえ(腫瘍が)10センチになっても特に問題ない。それからもう検査は受けないこと、そして医者に近づくな』と言っている。だけどあなたの場合、不愉快な症状があって、それがさらにひどくなるかもしれない」
–私もばち指と手足のしびれさえなければ、放置していたと思うが、症状がだんだんひどくなってくる。
「目の前に幅1〜1.5メートルの崖があって、下に川が流れている。向こう岸に飛ぶか飛ばないか。僕はそれを飛べとはいえない」
この放射線治療は正しいか
–治療を選ぶなら放射線のつもりだったが、なかなか受けさせてもらえない。放射線科の医師が呼吸器内科の医師に気を使っている。
「それはどこも同じ」
–先生の頃はそうでも、今はずいぶん変わっているのかと思ったら、そうじゃない。
「いやいや、全然変わらないよ。患者が最初から放射線科に行くようになれば構図は変わるだろうが。放射線科は呼吸器内科を通して、患者を分けてもらっているような状況だから」
–放射線科の担当医が放射線治療の専門医じゃないようだが、大丈夫か(C病院の放射線科のHPからプリントアウトしてきた医師のプロフィールを見せる)。
「放射線治療を志しているが、まだ若くて、腫瘍学会の専門医資格を持っていないようだ。ただ放射線科の医長は放射線治療をやっているようだから、特に問題はないと思う」
–定位放射線治療は線量とか手順が決まっているので、どこで誰がやっても同じだといわれた。
「大体そうです」
–48グレイを12グレイずつ4回に分けて当てるというのは普通か。
「普通だが、本当はもっと回数が多い方がいい。でも回数を多くすると精密にやるのに時間がかかる。それで回数を少なくしようとしている」
–先生の本を読むと、低い線量で回数を多くした方がいいのかなと。
「それはそうだが、(腫瘍のサイズが)3センチなのでなかなか難しい。1回の線量が多いほうが、いい面もある」
–これは標準的な回数ということで。
「そうです」
–転院しても変わらない?
「ほかに行っても変わらないと思う」
事前に用意しておいた質問事項を全て聞き終えると、思ったほど時間が経っていなかった。濃密な時間だった。途中で、
「手術をすると再発が多くなる。傷口にがん細胞が集まる」
「逸見さんみたいな?」
「そうそう。これ、読んだ?」
と、ご自身の著作を示されたので、
「持ってきました!」
と、バッグから付箋だらけの新書と文庫を取り出した。新幹線の中で読み直そうと持参してきたのだ。
そのまま机の上に置いておいたら、話が終わったところで、近藤医師は2冊を手に取り、見返しにささっとサインしてくれた。
思いがけず、つい、「(本を)もっと持ってくればよかった」と口走ると、苦笑されてしまった。
最後に握手をして、診察は終わった。大きくて温かい手だった。
※逸見さんというのは、1993年に胃がんで亡くなった逸見政孝アナウンサーのこと。検診で早期の胃がんが見つかり手術を受けたが、じき腹部に再発。転院して再手術を受けるも、甲斐なく死去。検診から死まで11か月だった。再手術の前にテレビの生放送でがんを告白する記者会見を行ったことで注目を浴びた。当時、がんの告白はまれだった。逸見氏の手術の功罪について、近藤医師の本には繰り返し出てくる。
続きます。
→「2015年8月-15 近藤誠セカンドオピニオン外来が終わって」
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