2015年8月-22 誰に話す? がんのこと


26日、弟にE病院でセカンドオピニオンを受ける話をしていたとき、ふと思いついて聞いてみた。

「私のがんのこと、Q子ちゃん(弟の妻)に話した?」

「うん、言った」

やっぱり。Q家は家族仲がいい。ということは、Q子の両親や姉妹、その夫の家族に私の肺がんのことはすでに伝わっているはず。

「いや、Q子には口止めしておいたから大丈夫だと思う」

弟よ、それは甘い。なぜなら、私は会ったこともないQ子の姉妹の婚家のいざこざや家族の病気のことを知っているよ(もちろん弟から聞いた。こっちが聞いてもいないのに)。

まだ母には言っていません

私は母に肺がんであることを伝えていない(今現在も)。そのいきさつは「2015年6月-9 弟へカミングアウト」に書いたが、病期が1Bと確定したとき、弟に、

「思ったより軽かったから、お母さんに言ったほうがよくない?」と聞くと、

「いや、言わないほうがいい、心配するから」との返事。

そんなものかなと思って、今まで来ているわけだが、今後、うちとQ家が冠婚葬祭の席で顔を合わせたとき、向こうの親族の誰かの不用意な言葉で(たとえば「サトさんの肺がんの具合はどうですか」とか)、母が私の肺がんのことを知ったら・・・と想像すると、嫌な汗が出てくる(自分が向こうの親族に同じことをしでかさないとも限らないが、それは今は置いておいて)。

結婚式で1回会っただけの向こうの親族はみんな知っているのに、実の母だけが娘のがんのことを知らされていない。みんなは知っているのに、自分だけが知らない。

それを知ったとき、母はどんな気持ちを抱くのか。

もし自分が母の立場だったら、「言わないでいてくれて、ありがとう」なんて、とても言えない。遠い親戚や赤の他人である友人は知っているのに、一番血のつながりの濃い親が知らないといういびつな構図。

まぁこんなことはよくあることで、持ちつ持たれつ、人の口に戸は立てられない。遠い親類の生き死になど紙一枚ほどの重さもなく、誰かのいっときの好奇心を満たして情報は消費されていく・・・、ということなのかもしれませんが。

でも、やっぱり自分だけで抱えているのも、ちょっと重い。いつかもし母が私のがんを知ることになって「どうして教えてくれなかったの!」と責められたら、「弟が言うなっていったから」と彼に半分、責任を負ってもらうつもりだ。

がんを告白することのリスク

がんを周囲に告白しづらいのは、未だにがんを死病だと思っている人が多いせいかもしれない。近いうちに死んじゃう可哀想な人。「普通」から脱落した、自分たちとは別世界の人、みたいな。最近はマスコミでがんに関する報道が増えたおかげか、偏見も減ってきていると思うが、実際はどうなのか分からない。

がん患者さんの話を聞いたりブログや本を読んだりしてのおおざっぱな印象だけど、

・女性より男性のほうが、周囲におおっぴらにがんと言っている人が多い。

・正社員で会社からのサポートが見込める人は公表していることが多い。

・非正規とかパートとか私のようなフリーランスは告白したことによる不利益が怖くて、なかなか言えない。

という傾向があるような気がする。

周囲に知られて同情されるのが嫌で、会社を辞めてしまったという話もよく聞く(自分だけならまだしも、「あの子のお母さん、がんなんだって」と子どもまで同情されるのが嫌で、などというケースも)。

「がんに立ち向かうの!」という強い決意、一時的な高揚感からSNSで一気に拡散してしまって、親しくもなかった昔の同級生や同僚から「心配してます」などと連絡が来て、発信したことを後悔したりとか。

同窓会で思い切って告白したら、友人たちは初めの頃こそ話題にしてくれたが(「元気そうに見えるのに」とか「知り合いで治った人がいる」とか)、次第に昔や今の話で盛り上がり、置いてけぼりを食らってしまい、思い出したように「大変ね」と憐れみの言葉をかけられるだけで、深く傷付いたとか。

おためごかしの同情心を招くだけ、相手を困惑させるだけの告白は、どっちにとっても辛いなあ。

周囲におおっぴらに話してしまう人にはいろんな情報が集まってくると思うけど、それも善し悪し。有益な情報だけならばいいけど、とにかくがんに関する情報は玉石混交。

「この先生のおかげで治った」「有名な先生を知ってる」といって病院や医師を紹介されたり、「あのサプリメントが効いた」「あの食品がいいらしい」と高額な健康食品などの代替療法を教えられたり、果ては怪しげな宗教まで。

教えてくれる人は親切心から勧めるわけで、その人が取引先のお偉いさんなんかだと断りにくい、もらった健康食品を食べないというのも勇気が要る、というのはよく耳にする話だ。

病気だけで大変なのに、人間関係でどっと疲れそう。それにどんな成分かも分からない健康食品を下手に取り入れて命を縮めることだってあるかもしれない。

代替療法と米原万里

そういうのが耳に入ってくるのも嫌で、私は外に向けてカミングアウトしていないけど、有益な情報までシャットダウンしているのかもしれない、とは思う。

もし余命宣告を受けたら、代替療法とかに走ってしまうのだろうか。自分はそんなことはあり得ないと言い切りたいが、そのときにならないと分からない。

あの聡明でユーモアのセンスにあふれた米原万里(ロシア語通訳、エッセイスト、作家。2006年死去)でさえ、卵巣がんの転移の不安に耐えきれず、(一見科学的な名称の付いた、患者を食い物にしようとしているとしか思えない高額の、しかも効果ゼロどころか体に悪影響を及ぼしそうな)いかがわしい代替療法を渡り歩くことになった。

当時読んでいた週刊文春に米原が連載していた「私の読書日記」でたまに記される闘病のすさまじさに、ただならぬものを感じたことを覚えている。

米原万里のまとまった闘病記があれば、がん患者にとって参考になることがたくさんあると思うが、そういうのは出ているのでしょうか(「打ちのめされるようなすごい本」(文春文庫)以外で)。

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