2015年10月-2 放射線治療-6 待合室で読んでいた本

10月5日、6回目の定位放射線治療

午前中、外で人と会う仕事。帰宅後に昼食を摂り、30分ほど仮眠。服を着替えて、E病院へ。放射線治療後、またまた初めての医師(今回は中年男性)へ、一から病状の説明。

「治療を継続できるか、様子を聞いているんです」とのこと。

相変わらず咳は出るが、咳き込んで苦しいほどではない。足首のむくみも和らいだ気がする。とすると、咳が元凶なのか。咳が鼻水、関節痛、むくみを引き起こしていたということなんだろうか。質問するが、明確な答えが返ってこないことは分かっている。

咳止めの薬を勧められ、ばち指の写真を撮られる。妙な既視感にとらわれる。

治療前と治療中の読書の傾向

このころ、往復の地下鉄や病院の待合室では、もっぱら須賀敦子のエッセイを読んでいた。

がんの診断を受けて治療方針が決まるまでは、がん関連の本ばかり読んでいたが、E病院で放射線治療を受け始めてからは、ほとんど手に取らなくなった。多分、こんな治療を受けて治った人がいるよとか、最新の治療法はこれ、なんていうのを読んで後悔するのが怖かったからだと思う。いや、自分が選んだ治療法に間違いはないと信じているが、雑音が入るのが嫌だったのだ。

須賀敦子は昭和30年代にフランスやイタリアへ留学し、ミラノで結婚するもイタリア人の夫に先立たれて帰国。以来、日本の大学でずっと教鞭を執りながら、イタリアの作家の研究や翻訳、著作活動をしていた。

とにかく持ち歩くものは少なく軽いほうがいいというのが私の信条なので、通院のときにも薄い文庫を選んだ。「地図のない道」(新潮文庫)はもう何度読んだか分からないほど好きなエッセイ集だ。そのなかにこんなエピソードがある。

治療室とヴェネツィア

須賀は仕事兼観光で訪れたヴェネツィアで、島のゲット(ユダヤ人居住地区)の見学ツアーに参加しようと思い立つ。しかし水上バスを降りて博物館の入口へ辿り着くと、ツアーは出たばかり。係員は次の回まで1時間待つように言うが、時間の限られた旅行者に1時間の待ち時間は惜しい。そこで別の観光に出かけ、ツアーには翌日再トライするが、走って入口に着くも、ツアーは1、2分前に出たばかりとのこと。しかし周囲にツアーらしき集団はない。翌日もまた空振りし、不可解な出来事に須賀は困惑する。

何度全力で走っても間に合わない、その徒労感、不可解さ。

診察で毎回同じことを医師に説明しなければならない自分と重なって、複数のイメージが絡み合い、次第に私の中で奇妙な像を結ぶようになった。放射線治療を受けているときは治療室に自分だけ。治療室は水で満たされ、自分が横たわる青い固定具が溶けて水の色を染めていく。ふと、治療室の壁に大きな穴が開いており、水が行き来して地下水脈があるのに気付く。水の流れはヴェネツィアへとつながっており、目を開けると穏やかに揺れる波の上に真っ青な空が透けて見える。

自分しかいない治療室でそんなイメージを広げていると、放射線治療はそれほど悪いものじゃなかった。今も治療を受けているときのことを思い出すと、遠くから波の音が聞こえてくるような気がしてならない。

それにしても、地下鉄の中で目の前に座っている7人が全員、スマホをいじっているというのは、もはや見慣れた光景。本を読んでいる人は少数派になってしまった(スマホで読書しているのかもしれませんが)。

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