2015年10月-5 定位放射線治療が終わって

定位放射線治療が終わって以降の日記の抜粋です。

治療中、アルコールは控えていました

10月10日

3連休初日。午後、近所のドラッグストアへ行っただけで疲れてしまった。掃除も仕事もできずじまい。これからは、お風呂で胸の十字を気にすることなく体を洗えるのが嬉しい。

10月13日

左手の手のひらの親指の付け根一帯に少し痛み。昨日は背中の左の一部分が痛かった。すわ、骨転移か、と慌てる。今後、何か不調が出るたびに、がんの転移、再発かもしれないとビクビクして生きていくんだろうなと思う(きっと死ぬまで)。それが、がんサバイバーの宿命ということか。

10月15日

膝とくるぶしのこわばりが消えた。しゃがんでも痛みがない。立ったまま靴下やパンツ(ボトムス)がはけることに感激。靴下を脱ぐと、しばらくゴムのあとが付いたままだが、以前もこんなだっけ? と思える程度。手のひらのピリピリ感は全て払拭されたわけではないが、一時期よりはましになった。

放射線治療の効果が出ているのだと思う。多めの線量をピンスポットで照射したおかげで腫瘍が破壊されたのだ。分かりやすい説明をネットで見つけた(下の※1参照)。

10月18日

昨日今日と名古屋祭り。例年、雨にたたられることが多いが、2日とも晴天なんて珍しい。この日は最高気温27.3度と10月にしては高く、部屋の中は蒸し暑いくらい。仕事にも行き詰まってしまったので、えい! と散歩に出た。

放射線治療が始まってからは、ひたすら部屋で体を休めていたので、外の空気を吸うのは久しぶり。通院や買い物には出ていたが、体はしんどいし風邪(肺炎)が怖かったので、目的を果たすと速攻で帰宅していた。心身共に全く余裕がなかったと思う。

胸に書かれたマジックの十字が、ようやく三つとも消えた。これで温泉にも行ける。

10月19日

最後の放射線治療を受けてから10日経過。体力的にはほぼ以前に戻ったような気がする。ただ、ばち指、手のひらの痺れは平行線を維持。足首は夜になるとむくんでくるようだ。

顎の下、首の上の方にしこり。調べてみると、扁桃リンパ節とか頸部リンパ節のあたりのようだ。もしかして転移なのか。グリグリは両方あるし、動くので、単なる腫れなんだろうか。不安は尽きない。

今日も25度を超えて暑いくらい。調子に乗って、入浴後に冷蔵庫で冷やしたビール(第3のビール)を飲んでいたら、何かに体を冷やすのはよくないと書いてあったのを思い出した。反省。

そういえば治療中はずっとお酒を飲まなかった。食欲もなかったし、アルコールを飲みたいとも思わなかった。体力が戻ってくると、飲みたくなってくるのかも。

10月20日

首のグリグリだが、今日は意識しないと指に触れない。昨日より小さくなっている。よかった。

10月21日

ばち指はあまり変化が見られない。7月から撮っている写真を見ると、治療を始めた9月が一番ひどく、その状態が続いているようだ。少しはよくなっているのかもと思ったのは希望的観測か。

10月24日

歯科医院へ。治療中、肺がんで治療を受けていたことを医師へ告げる。すると、歯科で使う薬と抗がん剤とはバッティングしないとのこと。私は抗がん剤は使っていないが、放射線治療はどうなのか気になったので、念のため聞いてみた。問題なし。

しかし私は診察台の上、医師はデスクと少し離れて話していたので、隣の診察台の患者さんにも話を聞かれたと思う。もっとタイミングを見計らって話せばよかったと後悔。やっぱり他人にがんだと知られるのは嫌な気分。この歯科医院は医師の病気のため12月で閉院。新しい歯科医を探さないと(そしてまた肺がんのことを一から話すことになるのか)。

10月26日

手のしびれは変わらず。ばち指も改善している感じがしない。

治療後の不安感

小さな症状に一喜一憂しながら、それでも薄紙をはぐように少しずつよくなっていたという感じ。実際はもっと細々と書いていたので、それだけ不安だったのだと思う。

「2015年9月-12 放射線治療-3 医師のメール&バセドウ病」で匿名の医師の方に指摘されたように、これらの症状はほかの肺がん患者が定位放射線治療を受けたときには起こらない、私に特有のものだと思います。こういうケースもあると参考にしてもらえればと思いますが、ブログは自分の記録でもあるのであえて記しておきます)

エッセイストの岸本葉子の「四十でがんになってから」(文春文庫)を読むと、がんによる死への恐怖は、虫垂がんの手術を終えて18日後に帰宅したその夜に実感した、とあった。入院中は医療スタッフに守られていたが、自宅に戻ったら全て自分で管理しなければならない(岸本も一人暮らし)。

「手術だとそんなものかな。私は治療が通院だけだったから関係ないんじゃないかな」

と思っていたが、じわじわと岸本の不安感が身に染み入るようになった。

心身が不調のとき、すぐ訴えられる相手のいる心強さ(今思うと、治療後に医師たちに不調を話せただけでも精神的に救われていたかも)。

ガク先生は「痛みが出たらすぐ連絡して」と言ってくれたが、どれくらいの痛みなら連絡していいのか。これまでになかった症状が出ても、痛みがないなら連絡する必要はないのか。その線引きはどこにあるのか。

このころは毎日が心許なく、漠然とした不安感に苛まれていた。

放射線治療後に体の中で起こっていること

(※1)QLifeがんというサイトで広島大学病院の永田靖医師が書いている「定位放射線照射」の説明が分かりやすかった。

「実際の治療は1週間以内に終わりますが、手術と違って、治療直後の画像を見ても、がんの消失は確認できません。これは、がんの燃えカスとでもいうべきものが残っているからです。すでにがん細胞は死んでいるのですが、画像にはその死骸(しがい)が映っているわけです。死骸(燃えカス)は患者さん自身の免疫機能によって処理され、徐々に消えていきます。」

なるほど。今、私の肺の中には、死んだがん細胞がわんさか残っているわけですね。

放射線治療というのは、長期的に、俯瞰で見ないと、焦って足をすくわれる。

名市大病院の芝本先生も「放射線治療に即効性を求めてはいけない」と言っていた。ゆっくりつきあっていこう。

→続きです。

2015年10月〜11月 犬山城へ行く&ばち指の経過
閉ざされた放射線治療室で治療を受けてきた反動だと思うが、パーッと開(ひら)けた風景が見たくてしょうがなかった。それも山と
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