足の爪が横に伸びる
2015年の12月半ばから、足のばち指が悪化してきた。
一番ひどいのは、右足親指の爪。爪は普通、上に向かって伸びていくのに、この爪は右横に成長しようとしている。そのため右側の肉(側爪郭⦅そくそうかく⦆というらしい)が腫れてきて、隣の人差し指とこすれて痛い。歩くのにも難儀する。久々に五本指のシルクの靴下を引っ張り出して履いてみると、おお、これなら痛くない。でも外出時には履いていけないので、困った。長く歩くのも不安で、遠出は無理だ。
当然、靴も選ぶ。夏頃から手と足全部のばち指化が進んでいたので、先の細い靴は入らず、カジュアルな靴が増えていた。夏ならサンダルやクロックスでもよかったが、寒くなるとそうはいかない。大きめのウォーキングシューズしか履けない。いつ治るのか、改善するのか。自分でコントロールできないだけ、気持ちが重い。
これも肺がんが原因の一症状なんだから、名市大病院へ行く? いやいや、足のばち指に対する医師の反応はなぜだか薄い。爪の専門医に見てもらったほうがいい。とすると皮膚科だ。
この頃から急に寒くなり、風邪のような症状が。透明な鼻水がひんぱんに出るので、しょっちゅう鼻をかんでいた。そして咳。右の肺の下の方を源としてゼーゼーとかすれたような嫌な咳が出る。きっと放射線肺炎に起因する症状なんだろうなー。
年末、勤めていたころの同僚2人とお茶。1人の友人の母親ががんサバイバーのため、話を聞きたいと思っていた。
母親は20年ほど前に大腸がんで手術、その後、肺に転移して手術。それ以降、再発、転移は見られないが、数年前から認知症気味で、今はずっと自宅にこもっているそうだ。知り合いに勧められてメシマコブを飲んでいるが、効果は分からないとのこと。転移があったから本物のがんだと思うけど、長生きされているのは喜ばしい。ただ世話をする友人は大変そうだが。
このときもウォーキングシューズでしか出かけられなかった。
皮膚科で足の爪を治療
2016年、年が明けた。がんの診断を受けたときは死をも覚悟したので、新しい年を迎えられたことに感謝する。
4日、実家に戻って近くのお店で母とランチ。歩き回ったせいで、右足の親指の痛みがピークに。人差し指に当たらないよう、親指の爪をカットするのだが、切ったせいでか勢いづいて、じき人差し指に当たるのだ。もう限界。
5日、皮膚科へ。60代の医師に、肺がんのこと、手足にばち指の症状が出たこと、足の爪が変な伸び方をして難儀していることなどを伝える。右足の親指をしげしげと見ていた医師は、
「切りましょう」
「え? 痛くないですか?」
「少しは」
医師は私の右足をむんずとつかむと、消毒も麻酔もせず、爪の右側を垂直にニッパーでパチンと切り取った。思わず、
「痛ーい!」
と叫んでしまいました(痛みはじきに治まった)。医師はそれからほかの4本の指の爪も手際よくパチンパチンと切っていった。びっくりして言葉が出なかった。人に爪を切ってもらうなんて子供のとき以来。しかも男性に切ってもらうなんて人生初かも。
こちらの当惑をよそに、医師は親指の爪の根本を消毒し、バンドエイドを貼った。これで終わり。拍子抜けするくらい簡単な(荒っぽい)治療だった。
その後も痛みは20日ほど続いたが、傷のかさぶたが取れるころ、ようよう歩くのに支障がないまでになった。
手と足の爪は、指によって好き勝手な方向に生えていこうとするので、今も爪切りや爪やすりでの手入れが欠かせない。
2016年2月 経過観察-2
2月9日、名古屋市立大学病院へ2回目の経過観察。血液検査と胸部CTの撮影。
担当医はいつも穏やかな笑顔で迎えてくれる。これは検査結果がいいからなんだろうか。結果が悪い患者には、どんな表情をするのだろう。ふとそんなことを考えると、これから先、ずっと笑顔で迎えてもらえますようにと、祈らずにいられない。
CTの結果。腫瘍は12月よりさらに小さくなっていた。今度は厚さも聞いた。
「長径が15ミリ、短径が5ミリ、厚みが15ミリ」
つまり直径が15ミリの球形の、上5ミリだけを切り取ったような感じ? 放射線治療を受ける前は直径が31ミリだったから、えーと、体積は10分の1くらい? 計算の仕方が分からないが、とにかくものすごく小さくなっている!(いるんですよね?)
ただ、周辺のぼんやりした影は変わりなく、放射線肺炎は続いている様子。
担当医から、手の指の写真を撮られる。「だいぶよくなりましたね」とばち指のことを電子カルテに打ち込んでいたので、「足の指の爪も変形して痛かったので、皮膚科で治療を受けたんです」と話したが、やはり足のほうは記載してもらえなかった。
血液検査も問題なし。腫瘍マーカーの数値も全て基準値内だった。次の検診は4月。しばらくは不安から遠ざかっていられる。
この数日後、Eテレの「白熱教室」でサイコパスを扱った回の再放送を見た。その中でイギリスのダットン博士が、「人は嫌なことを後回しにするが、常にそのことを考えていなければならない。苦痛を長引かせているだけ」と話していて、思わずひざを打った。
このころ、クライアントの無理難題に振り回されて、嫌で嫌でしょうがない案件に取り組んでいた。そうだ、博士の言う通り、「この仕事は早く終わらせる。そしてこのクライアントから二度と仕事を受けない」ことを目標にしたら、何とか耐えて仕事を終えることができた(きっと先方からは、使えないヤツと思われていただろうことは置いといて)。
しかし肺がんはどうか。今月はよくても来月、来年は転移、再発しているかもしれない。忘れようにも常に頭の片隅に巣食っているので、後回しになどできない。とすると、この不安、苦痛を生涯の伴走者として生きるしかない。ないのか。きっとないでしょうね。
→続きです。