肺がんのブログ-1

図書館で稲月明著「僕はガンと共に生きるために医者になった 肺癌医師のホームページ」(光文社新書)という本を見つけた。

ブログとエッセイが交互に書かれており、ブログは一般の人を対象に医師が書いているせいか、専門用語をなるべく使わず、かみ砕いた言葉で、感情もオブラートに包んだ書き方。そのせいか内容は淡々として、変な言い方だけど素朴な印象を受ける。

発行は2002年、15年も前だ。当時はまだ闘病ブログというのはまれで、これで十分センセーショナルだったのかもしれない。

(稲月さんは1959年愛媛県生まれ。2001年1月に県内の病院に内科医として勤務中、肺がんステージ4の診断、化学療法を受ける。3月、ホームページ開設。その後、骨、腎臓、腹部などに転移。ブログは11月で終了。解説で亡くなったことが報告されている)

あとから気付いたが、本にはブログという言葉は使われていない。ホームページと書かれている。

日本でブログという言葉が広まり始めたのは2002年なので、著者が生きていたころはまだ一般的ではなかったと思われる。

奥山貴宏「31歳ガン漂流」

私が肺がんの人のブログを始めてリアルタイムで読んだのは、今から13年前、奥山貴宏さんのホームページ「TEKNIX」だった。

2003年、31歳で肺腺がんステージ3、余命2年の診断。サブカル系の雑誌に文章を書いていたフリーライターということもあってか、本名で闘病ブログを書き始める。

若くしてがんをカミングアウトする人は珍しかったのだろう。若者向けの深夜のテレビ番組に出演したり、ドキュメンタリーが制作されたり(地域の小学校でがんに対する理解を深める授業を行っていたのが印象的だった)、ブログの内容が1年ごとにまとめられて出版されるなど(「31歳ガン漂流」(ポプラ社)ほか)、多岐にわたる活動をしていた。

しかしがんは徐々に彼の肉体をむしばみ、医師の宣告通り2年後の2005年4月、33歳で死去。本人は作家志望で、最後まで推敲を重ねた小説「ヴァニシングポイント」(マガジンハウス)の発行を見届けた3日後に息を引き取っている。

久々に奥山貴宏の名前をネットで探したら、すでにブログはなく、彼の劇的な半生に衝撃を受けたとおぼしき若者たちが、奥山さんを伝説化しているサイトを散見した。驚いた。

ブログをリアルタイムで読んでいた私自身はどうだったかというと、人の命が徐々に尽きようとするさまを盗み見ているような後ろめたさを感じていた。

こんなふうに人は死んでいくんだ。

自分は安全圏にいて、危機に瀕している人を傍観しているようなやましさ。見殺しにしているようないたたまれなさ、無力感。

彼の死を編集者が伝える画面を見たとき、打ちのめされた。こういうブログを興味本位で見ちゃいけない、今後は二度と見るまい。そう心に決めて、その通りにした。

2015年6月、レントゲンで肺に影が見つかるまでは。

続きます。

→「肺がんのブログ-2

→「肺がんのブログ-3

2017年5月17日(水曜)

〇体重 49.5 〇BMI 18.7 〇体脂肪率 26.3

■朝

豆乳、野菜ジュース

■お昼

うどん(乾麺80グラム。干しシイタケ、ワカメ、ネギ、かまぼこ、天かす)、シメジとカニかまのアヒージョ(クレイジーソルト、ニンニクオイル)、冷や奴(甘味噌、セロリの葉)、サツマイモのグレープフルーツジュース煮

※セロリの葉って、ちょっとパクチーみたい。豆腐がいきなり東南アジアっぽくなります。しかしパクチーって以前はコリアンダーって呼んでなかった? 25年くらい前に食べたメキシコ料理にたんまり使われていて閉口した覚えがあります。

■お八つ

■夕飯

卵かけご飯(雑穀入り。100グラム)、吸い物(インスタント。ネギ、結びかまぼこ)、チダイの煮付け(シイタケ、タケノコ、ショウガ)、根菜の煮物(ゴボウ、人参、コンニャク、さつま揚げ、ちくわ、昆布)、おろし納豆(ネギ)、梅干し、海苔

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