支える人-1

永沢光雄「声をなくして」

永沢光雄は彼の出世作となった「AV女優」を20年ほど前に読んで、ずっと気になっていた人だった。下喉頭がんで声帯を除去したことを知り、インタビュアーが話せなくなったらどうなるんだと心配しているうちに2006年、47歳で死去。もう11年も前だ。永沢光雄著「声をなくして」(文春文庫)は、仕事の依頼で闘病中の日常を綴ったエッセイ集。

若い女優たちの心を瞬時につかみ、本音を引き出す。どんな人たらしかと思っていたが、これを読んでいて腑に落ちた。この人なら私の気持ちを分かってくれる、どんなことを話しても批判されることはないと思わせる、優しくて情けない人、だったのではないか。

しかし他人に甘い人は得てして自分にも甘い。

女に食わせてもらうヒモのような暮らしを(相手が愛想を尽かして追い出されるまで)何年も続け、うつで、アルコール依存症で、不潔で(風呂に入ったのは退院後2年間で10回程度。喉に開けた穴に水が入ったら死ぬほど痛いそうだから、これを非難したら人非人か)、髪が薄く(本人は自分で「禿げ」と書いている)、絶望的なほどの近鉄バッファローズファンで(これはどうでもいいのかもしれないけど)、でも情に厚くて、愛嬌があって、甘え上手で。

だからきっと女性は心を許したのだと思う。

「夫」から「介護される人」へ

日記なので妻の記述も多いが、これがよくできた奥さんで、朝から焼酎を飲む夫に小言をいうこともなく、同行した病院の診察室には元気な声で挨拶して入っていき、明るくふるまい、夫のくじけそうな心を奮い立たせる。夫と世間の橋渡し役をごく自然にこなしている。

でもこれって母親じゃないの?

永沢は家計の算段も全て妻任せ。ろくすっぽ仕事をしていない夫は「知るのが怖い」と家の経済に背中を向けているが、その実、妻はどうやりくりしていたのか(下世話ですみませんが、知りたかったところ)。

身障者の息子をその手足となって支える母親みたい。永沢も、「私は介護される人。妻は介護をする人。」などと書いている。

「ガンで浮かれてる」

永沢は、通院前に焼酎を3杯もあおってしまう自分を怒ることなく見守るばかりの妻に対して、「嬉しいが、やや、淋しい。」などと、甘えきったことを書く。私なら、「がんだからって甘えるな! 大人なんだから自立しろ!」と怒り狂って3日も一緒にいられないだろう。

実際、顔の発疹を皮膚科で治療され、耳のあたりをガーゼで覆った姿がゴッホに似ていて面白いから誰かに見せようと、平日の午後2時、多忙な編集者の後輩へ妻に電話をかけさせると、

「今、何曜日の何時だと思ってるんすか! そっちはガンで浮かれてるんでしょうけど、だいたい世の中には常識っていうものがあってですねえ!」

などと冷水を浴びせられている。しかし、よくそんな言いにくいことが言えたものだ、後輩、エライ。きっとそれまでの信頼関係があるから言えるんでしょうけど。

理想的なパートナー

診察室で医師から説明を受けるとき、誰かそばにいてくれたら、と思うことがある。大事な情報を聞き漏らしたり、質問すべきことをしていなかったりと、あとから後悔することがあるからだ。

ことに、がんについての知識が増えれば増えるほど、情報が錯綜して頭の中はこんがらがった毛糸状態。誰かにときほぐしてもらいたくなる。最新の専門的な知識を持ち、適確なアドバイスをもらうことができたら、心強さはいかばかりか。

しかしそんなアドバイザーではなく、ただ隣にいて全て認めてくれる人がいたら、どれほど心の支えになるだろう。自分の選んできたこと、やっていることが、全て見当違いで最初から大間違いだったのではないかと、心細く不安でしょうがないとき、精神的に支えになる人がいてくれたらと願わずにいられない。

そんな思いがベースにあってこの本を読んでいると、永沢のグダグダした記述(ごめんなさい)より、夫を見守る恵夫人のまなざしばかりが記憶に残る。心配でしょうがないけれども、夫の前では涙を見せない。献身的で、いじらしくて、強く、切ない。患者にとっては、理想的なパートナーだろう。

がん患者の家族は「第2の患者」

しかし、さまざまな闘病記やブログを読むと、患者の夫を支える妻が精神的にまいってしまう話は実に多い。永沢の妻も実際にそうだったようで、「妻のあとがき」で、

「なんにもしてあげられないのが、とってもつらかった。泣きたかったけど、みっちゃんの前では、ぜったいに泣かないって、自分にきめていたから。私が泣いちゃったら、みっちゃんが泣けなくなっちゃうもんね。」と書いている(みっちゃんとは永沢のこと)。

「なんにもしてあげられない」なんて! 恵夫人がいなかったら、永沢は絶対にもっと早く命を落としていたはず。

先日、がんに関する講座に参加したら、がん患者の家族は「第2の患者」と言われており、サポートの必要性、重要性が以前から指摘されているわりに、なかなか実現できていないという話があった(患者へのサポートが最優先されるため)。

こういう話を見聞きすると、「支えになってくれる人」の辛さを想像してしまい、(可愛げのない私は)そんな負担は誰にも与えたくないと思ってしまう。

肝硬変で絶命

永沢はがんではなく、アルコール性の肝硬変で亡くなった。好きな酒を終生断つことなく、苦しむことなく、自宅で愛する妻の傍らで急死できたというのは、不謹慎かもしれないが、少しうらやましい気がする。

永沢はがんの手術のために入院中、須賀敦子とレベッカ・ブラウンの本だけを病室に持ち込んでいたそうだ。私も2015年秋に定位放射線治療を受けている間、須賀の随筆ばかり読んでいた。決して多くない彼女の著作のどれを永沢が選んでいたか、できるなら聞いてみたい気がする。

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コメント

  1. tonton より:

    「AV女優」は評判になりましたが、暗いかな〜と思って手が出ませんでした。でもノンフィクションは書き手の魅力という視点もありますね。
    ”優しくて情けない人”? なんだか私の周辺にもちらほらいますよ。そういう人。
    魅力的とも言えますが、実際そばにいると困った人でもありますね(笑)

    >自分の選んできたこと、やっていることが、全て見当違いで最初から大間違いだったのではないかと、心細く不安でしょうがないとき…

    私の主治医曰く、ガンは専門家ほど例外に多く遭遇して、まだまだ分からないことが多いとか。
    近藤理論に関しては確かにそういう傾向はあるけれど、証明されてないものを証明ずみの理論のように言ってるところに疑問を感じると言ってました。おそらく多くの臨床医が20年前は近藤氏をボロクソ言ってましたが、その後正しいことが証明されてきたものの、未解明な点も含めて、近藤氏の言い方(書き方)が言い切り型?なのに抵抗があるのかな〜?と感じました。
    しかし逆に言えば、まだ未解明な部分が多いということは、専門家によっても意見が分かれるわけで、各自が「私はこれがいい」という治療を選んでいい、ということになるのではないか、と思います。もちろん、〇〇水とか、胡散臭いのは別として。

    確かに付き添いがいることは心強い反面、うちの夫なんて、私以上に何にも覚えていないのに呆れました。
    私以上にショックだった、と思いたいものの、もしや全然興味がないんじゃ!?という気もしてます(笑)

    • クロエサト より:

      >”優しくて情けない人”?…魅力的とも言えますが、実際そばにいると困った人でもありますね(笑)

      確かに困りますよね(笑)。甘え上手な男の人ってホントうらやましいです。何とか力になりたいと思っちゃうんですよね。ずーっとは嫌ですが。

      ご主人、病院へ同行してくれるだけで立派ですよ。
      きっとご主人なりにものすごく気を使われているのだと思います。ただしtontonさんには(おそらく)通じていないだけで(笑)。
      「支える人-2」にも書きましたが、夫婦の相互理解は難しいようですね。男脳、女脳の違いでしょうか。