星野仙一が1月4日に亡くなった。すい臓がんで70歳。
今日の中日新聞夕刊は12ページ中5ページで、これまでの経歴やその人となり、名古屋との深い関わり、関係者のコメントを載せていた。
星野は中日ドラゴンズの選手として14年、監督として11年活躍した。名古屋の人は、星野のホームタウンは名古屋だと思っているはずだ(阪神でも楽天でもなく)。中日の監督退任のときは後味の悪い幕切れとなったが、それは名古屋の人が望んだことじゃなかった。
私はプロ野球には関心が薄く、ナゴヤ球場時代に誘われて一度観戦に行った程度だけど、地元ということで12球団の中では一番、中日を応援している。
特に星野は若いころから格好良く、笑顔がキュートで直情型で熱血漢で、ハラハラドキドキさせられる存在だった。星野が監督になって導入した、アメリカのドジャーズのものに似たグレー地のユニフォームは、今もこれまでで一番イカしていると思っている。
テレビCMの温泉宿
個人的に、星野仙一といって連想するのは露天風呂だ。ビールのCMで星野が海の見える露天風呂に浸かっていると、確か金シャチが海から跳びはねて湯船に飛んでくるという趣向だったと思う。
檜造りの露天風呂が開放的で気持ちよさそうで、「入ってみたいなぁ」と探すと、南知多の海沿いの温泉旅館だと分かった。
ちょうど私が三叉神経痛で40日間入っていた病院を退院した直後で、入院中に世話をかけた母と伯母へ感謝の気持ちも込めて、三人で泊まりに行った。
潮風に吹かれつつ、暮れなずむ水平線を眺めながら浸かる露天風呂は最高だった。ここに星野も入っていたと思うと、一気に身近な存在になった。
22年前のことで、伯母は先年亡くなり、調べたらその温泉宿の名前も変わっていた。
星野仙一が妻の扶沙子さんを白血病で亡くしたのはその2年後で、50歳という年齢は今から思うといかにも若い。星野は人生の喜びも悲しみも、栄光も挫折も、人より何倍も深く味わった。誰よりも密度の濃い70年を全力で疾走していったのだと思う。
2018年1月6日(土曜)
〇体重 49.4 〇BMI 18.7 〇体脂肪率 25.9
■朝
豆乳、野菜ジュース
■お昼
フスィリ(乾麺100グラム、ソースはアラビアータ、ニンニクオイル)、サラダ(水菜、玉ネギ、人参、ブロッコリー、パプリカ、アボカド、金時豆、ちりめん、オリーブ。岩塩、ブラックペッパー、オリーブオイル、バルサミコビネガー)
■お八つ
飴、コーヒー、せんべい
■夕飯
ご飯(100グラム)、カレー鍋(豆腐半丁、カボチャ、キャベツ、小松菜、シイタケ)、昆布巻き、里芋とイカの煮物、レンジ卵(ブロッコリー)