10月19日(木)
急に寒くなった。肺に何かが詰まっているような感じで、胸一杯息を吸おうとすると、むせてしまう。肺炎か。近所の内科で診てもらったほうがいいのか。
担当医からの「今のところ大丈夫」の賞味期限はわずか2日。またぞろ、不安感が頭をもたげてくる。
10月24日(火)
肺に違和感を覚える。呼吸を遮ろうとするように、何か異物が居座っているような感覚。
気のせいか。気にしすぎなのか。放射線治療の背中の跡のように、異物は徐々に消えていくのだろうか。一生このままじゃないことを願いたい。
午後、背中がゾクゾクして寒気がした。でもスーパーの特売日なので無理して買い物へ出た。それで悪化させたのか。何もする気が起きず、夕食はおかゆを作った以外はありあわせのものですませる。
あっという間に体調が悪くなる。
柳原和子のドキュメンタリー
10月31日(火)
NHKのBSプレミアムでドキュメンタリー「百万回の永訣『柳原和子』がんを生き抜く」を見る。ノンフィクション作家、柳原和子は1997年に47歳で卵巣がんを患い、2004年多発転移。2008年再発し57歳で卵管がんで死去。番組は2007年放送の再放送。
2015年に肺がんと診断された後、いろいろながん闘病記を読んだが、中でも柳原は印象的な作家だった。活字でしか知らなかった彼女は、こんな表情でこういう声で話す人だったのか、こんな体形でこんな服を着ていたのか。こんなところに住んで、医師たちとこういうふうに接していたのかなどなど、目の前に生身の柳原が立ち上がってくるようで圧倒された。
まだ若い近藤誠医師も出演していた。もう10年以上前の撮影だけど、ハイビジョン映像のためか古く感じなかった。
※柳原和子著「がん患者学」について書いています。→「2016年12月 3冊の「がん患者」本」
11月1日(水)
部屋の中にいると肺に違和感があって、すぐに咳が出る。でも、外に出ると違和感を感じない。咳も出ない。どうしてなんだろう。
午後、外はよく晴れた秋空、猫とソファーでまどろむ。最近、猫の具合が悪いので、穏やかな時間を過ごせることに幸せを感じる。
11月5日(日)
洗面所で背中を鏡で映してみる。
22日間だけ当てた左側の部分は、あと少しでむけそうな皮が、うろこ状に残っている。
全期間(33日間)当て続けた右部分は、皮膚が赤茶色に染まって、色素沈着を起こしている。ただ以前に比べたら色は薄く、面積も小さくなってきた気がする。
今朝は寒かったせいか、起きたら咳が出た。昼間もたまに咳が出る。そのせいか、みぞおちの少し下あたりに違和感がある。いつものように肝臓に転移したのではないかと不安になる。多分、咳のせいで筋肉痛を起こしているのだと思うが。
咳、痛み、不安感——心配で不調な日々
11月6日(月)
咳がやまない。脇の下の辺りや、その内側前面の肋骨の辺りが痛くなる。皮膚のピリピリ感と、内部(骨?)の痛みのような感覚。何だろう。不安ばかり募る。
11月8日(水)
脇腹の痛みは消えた。代わりに肋骨の下あたりの筋肉が痛む。やはり咳のせいか。
11月9日(木)
横隔膜の辺りに筋肉痛。本当に筋肉なのか。胸膜、腹膜、胃の辺りに腫瘍が移転して痛んでいるのではないか。痛みのため、夕飯は卵がゆにした。
11月10日(金)
朝、目覚めたら痛みはない。しかし起きだして動き始めると、再度みぞおち辺りに痛み。内臓じゃない、やはり筋肉痛だ。少しホッとした。今も痛いけど、筋肉痛なら徐々に治るはず。
11月11日(土)
立ったり歩いたりすると、肋骨周辺が痛む。座っていたり横になっていると痛くないのに。帰宅後また放射線肺炎について調べてしまった。熱もひどい咳もしないので肺炎ではない。書いてある通りだと思うが、不安は払拭されない。
長時間の外出はもう少し待った方がいいかもしれない。仕事は全くできず。
11月13日(月)
今日も胸やみぞおちのあたりが痛い。皮膚とそのすぐ下のあたり。衣類が触れるだけでも気に障る。
原因は咳じゃないのかもしれない。来週火曜の診察日になれば分かる。もし肺炎ならCTに映るはず。この不快さ、気になる痛みのせいか、夕方2時間くらい眠ってしまった。
11月20日(月)
明日は病院で血液検査とCT検査。また腫瘍が見つかるか。肺炎になっていないか。気が重い。
→続きです。