岸本葉子・内富庸介「がんと心」
40歳で虫垂がんを患ったエッセイスト岸本葉子と、精神腫瘍医の内富庸介の対談集「がんと心」(文春文庫)が興味深かった。
精神腫瘍学(サイコオンコロジー)は、がんが心に与える影響と、逆に心や行動ががんに与える影響を研究する学問。対談では、告知、治療、再発などがんにまつわる衝撃、不安、苦悩などにどう向き合えばいいかを考察、アドバイスになることも多くあった。その中から、がん患者と家族の関わりについて、いくつか拾ってみる(まとめています)。
・がん患者の数は男性が女性より2倍。夫が患者で妻がサポーターというケースが多い。
・夫が患者の場合、妻は理解しようとする。心身両面からサポートしようとする。
・妻が患者の場合、夫は病院の送り迎えや家事の代行など、具体的に何かをすることがサポートだと思っている。妻が求めているのは理解だが、夫は妻の気持ちを理解しようとはしない。
・妻の病気を怖がって、全くサポートしない夫もいる。(以上、中富)
夫婦間の深い溝
・患者はがんに対してどのような態度も取れる自由がある。しかし家族はそうはいかない。患者と家族はある意味、支配被支配関係のようになる。患者に「がんではない人間にはわからない」と言われたら、そこでコミュニケーションが絶たれてしまう。
・妻ががんの告知をされたとき、それを否認する夫がいる。妻に症状がなくて普通に暮らせる場合、「おまえはがん告知されたけれども、昨日と何も変わらないじゃないか。病人ぶるな」と言う夫も。(以上、岸本)
何か疲れきっている妻の姿が目に浮かぶようです。男女差があることを分かっていないと、互いに相手に期待しすぎて失望することになりそう。
男女の受け止め方の違いを知っておく
がんと告知されたあと、男女では受け止め方に違いがあるということをレクチャーしてもらえるといい。看護師なり精神科の医師なりから、時間を取って説明してもらえたら、サポートする側の心構えも違ってくるはず(がん治療のルーティンに組み込まれるのが理想だけど、がん告知の直後にいろいろ言われても耳に入らないか)。
しかし、検査結果を一緒に聞きに行く夫婦はどれくらいいるのだろう。妻の検査結果を聞くのが怖くて来ない夫もいるそうなので、まずは診察室まで引っ張って行くのが大変かもしれない。
とはいえ最近の若い夫婦だと、女性特有のがんでも夫が付き添って来ることが増えているそうで、頼もしい。要は普段のコミュニケーションをしっかり取っておくことが大切ということか。
女性ががんに罹患すると、心のサポートを夫ではなく、自分の姉妹や娘、同性の友人から得ようとするそうだが、こういう傾向も変わっていくかもしれない。
レベッカ・ブラウン「体の贈り物」
永沢光雄が入院中の病室に、須賀敦子の随筆と共に持ち込んでいたというアメリカの作家、レベッカ・ブラウンの代表作、「体の贈り物」(柴田元幸訳。新潮文庫)を読んだ。
アメリカには死期が迫ったエイズ患者の自宅を訪問して、家事(掃除、洗濯、買い物、料理など)をサポートするUCS(都市共同体サービス)という組織があるそうで、そこから派遣された作者の分身とおぼしき女性スタッフ(ホームケア・ワーカー)とエイズ患者たちとの束の間の触れ合いをスケッチのように描いた連作短編集。
アメリカで初版が出たのが1994年で、UCSが今もあるのか、地域限定的な組織なのか分からないが、ホームケア・ワーカーには医療行為は許されていないので、日本でいうと介護保険の生活援助を行うホームヘルパーみたいなものだろうか。
死にゆく患者たち
患者たち(本では利用者)は次第に体力が落ち、食べられなくなって痩せていき、できることが減って、人の手を借りないと動くこともままならなくなり、(人によっては)ホスピスへと移り、死んでいく。
ホームケア・ワーカーたちは決まった患者を定期的に訪れ、身の回りの世話をするうちに、断片的な話から患者の人となりを知り、その孤独、死ななければいけない怒り、悲しみと向き合うことになる。
患者を人間的に好きになり、献身的に世話をしても、近い将来の死は避けられない。
これは辛い。繰り返される喪失体験にワーカーたちは神経が参ってしまい、仕事が2年も続けば長いほうだという。
病気の人を支えることの難しさ。ことに主人公の女性ワーカーは想像力が豊かで、共感能力が高い。患者の心のひだの奥まで分け入って、患者が真に望んでいることをくみ取って対応しようとする。仕事だと割り切ることができず、ホスピスへ移った受け持ちの患者を訪ねることもある。
支える人の手
しかし患者側に立ってみると、彼女は理想的なホームケア・ワーカーなのではないか。
死が近いことを自覚している患者は、彼女に始め遠慮し、感謝し、時として甘え、突っぱね、横柄になり、悔い、涙する。彼女はその混乱を丸ごと受け止め、患者をもうすぐ死を迎える可哀相な人ではなく、自尊心を持つ一人の人間として対峙する。
彼女のような人にこそ支えてもらいたい。そんなふうに患者たちは、永沢は思ったのではないだろうか。私だってそう思う。
私が一番印象に残っている場面は、午後、陽光の差し込む明るいバスルームで、主人公に入浴介助をしてもらう患者が、「ああ、気持ちいい」と至福の表情を浮かべるもの。同じような描写が(異なる患者で)2回出てくることもあって、私にとってはこの印象が本全体を貫いている。
温かな湯気に包まれた、ぼんやりとした光に満ちた空間で、優しい腕に抱かれているように、身も心も安心して委ねていられる。そこは羊水の中か、あるいは昇天しているのか。
しかし、母のように優しく包んでくれる慈愛の手は、実は血がにじみ、傷だらけではないのか。そう思うと、ただただ痛々しい。
→続きです。
コメント
我が家はどうだったかな〜と考えましたが、告知は一人で聞きました。
入退院はもちろん、病理の結果は一緒に聞きましたが、私の病院の方針か、ともかくよく動けと言われ、主治医がわざわざ夫に「旦那さん、家事を手伝っちゃダメですよ」とまで言うので、私は主治医に怒りました。
だってこういう時に全く手伝うそぶりを見せなかったら、妻からしたら、こんな思いやりのない夫なら「いらね〜」となります。実際にはうちの夫などは家事能力が低くて、大して役立ってはいませんけど、気持ちの問題です。
でも年配の人など、どう妻をサポートしていいのか分からない人もいるかもしれませんね。
クロエさんがおっしゃるように、結局普段からのコミュニケーションが大事なんですよね。それがないと、互助会としても機能しませんからね。
>だってこういう時に全く手伝うそぶりを見せなかったら、妻からしたら、こんな思いやりのない夫なら「いらね〜」となります。
「がんと心」には、そういう夫に嫌気がさして離婚したという女性患者の話が出てきます。きっと多くの女性がん患者が同じような悩みを抱えているんでしょうね。
>実際にはうちの夫などは家事能力が低くて、大して役立ってはいませんけど、気持ちの問題です。
そうそう。気持ちが大事なんですよね。その気持ちを分かるように伝えてほしいのが女性なんですよね。
なんて女性の視点ばかりでものを考えてしまいますが、男性にはきっとまた別の言い分があるんでしょうねー。