御嶽山

よく噴煙が見えた

集合住宅の外廊下から御嶽山が見えることがある。名古屋のビル群のはるか先、空気の澄んだ冬の朝にはことにくっきりと稜線が浮かび上がる。

3年前の2014年9月27日に御嶽山が噴火したあと、仕事先の人から、「うちの会社から御嶽山が見える。噴火のあと、よく噴煙が出ていた」と聞いたことがある。彼の会社はNHK名古屋放送センタービルの高層階にあった。

遊びに出かけた山が噴火するなんて、一体誰が想像できただろう(それが火山とはいえ)。秋晴れの行楽地、土曜、昼時。そこに居合わせたことは、ただ不運だったとしか言いようがない。深く大きな闇は思いもよらない場所にぽっかりと口を開けているのだと思い知った。

噴火後、じきに雪を頂いた御嶽山を遠くから臨むたび、

「あそこにはまだ6人の人が眠っているのだ」

と、しんとした気持ちになったものだった(当時は死者57人、行方不明者6人。2015年8月に58人目となる遺体が見つかる)。

8合目の女人堂まで

御嶽山へは5年前の秋、8合目まで登った。名古屋からの日帰りツアーで滞在時間が3時間半程度と限られており、ロープウェイで一気に7合目まで上がったあとは、女人堂までの高低差約300メートルを往復するのが精一杯だった。

おまけに私は行きのバスで酔い、配られた弁当には一度も箸を付けられなかった。とても山登りなんて無理だと弱気になっていたが、山は人を再生させる不思議な気に満ちている。バスから降りたら身も心もしゃんとして、お腹は空っぽだったが、何かに背中を押されるように、足はぐんぐんと坂道を上がっていった。

なだらかな山裾はところどころ赤や黄色に着色され、全山が錦に染まるのは間近だろうと思われた。頂上を見上げ、今度はあそこまで、と思ったが、じきに白い霧がどこからかわいてきて、辺り一面を覆い尽くし始めた。もう戻る時間だった。

いつかまた来たい。今度は山頂へ。そう心に決めて、山を下った。

いつかは山頂へ

子供の頃はよく車酔いしたことを、大人になってからすっかり忘れていた。しかし近年、バスで遠出するとちょくちょく気持ち悪くなることが増えた。年を取って体質が変わってきたのか、がんの影響なのか(がん患者は何にでもがんを結び付けて考える)。

今のように体調が万全でなく、バスにも弱いとなると、ふもとの木曽まで行くのさえ難しいかもしれない。電車ならいいかも。頂上近くまで行くには一泊しないと無理だ。どこに泊まる? 噴火のせいで客足は鈍くなっていると聞くから、地元には歓迎してもらえるだろうか。

プランを練っているだけで楽しい。いつか本当に行けたらいいと思っている。

(写真は2012年10月7日、御嶽山8合目付近)

2017年9月27日(水曜)

〇体重 48.1 〇BMI 18.2 〇体脂肪率 25.6

■朝

豆乳、野菜ジュース

■お昼

うどん(乾麺80グラム。干しシイタケ、ワカメ、ネギ、竹輪、天かす)、シメジとちりめんのアヒージョ(マジックソルト、ニンニクオイル)、冷や奴(セロリの葉、甘味噌、一味唐辛子)

■お八つ

チョコ菓子、コーヒー

■夕飯

ご飯(雑穀入り100グラム)、アサリの味噌汁(セロリの葉)、ニラの卵焼き、根菜の煮物(レンコン、人参、タケノコ、コンニャク、昆布)、納豆(卵、ネギ)、梅干し、海苔

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