2015年9月-10 シルバーウィーク&おばさんはなめられる

シルバーウィークの体調

9月19日、初の放射線治療の翌日もやっぱり体はしんどいまま。

他の人たちは、つらくないのだろうか。たとえば、治療後に会社に戻って仕事を続けるとか、しているのだろうか。テレビで、放射線治療を夜に行っている病院が、会社勤めの人からアフター5に治療を受けられて好評を得ているというのを見たが、仕事と両立なんてできるのか。

放射線量によって違ってくるのか、慣れてくれば平気になるのか、腫瘍の場所によって違うのか、個人差があるのか。うーん、分かりません。

夜、徐々に体調が戻ってきたので、入浴して髪を洗った。一気に体が重くなって、動きが緩慢になる。お風呂なんて一日二日入らなくても死にはしない。無理しなければ良かった。

川島なお美が体調不良で17日に舞台を降板したそうだ。検査も治療も受けていなかったという。昨年1月に肝内胆管がんの手術を受ける前もぎりぎりまで仕事を続けていたというから、おそらく今回もそうするつもりだったのだろう。しかし、あの異様な痩せ方を見ると、再発か転移したとしか考えられない。悪液質というのは、ああいう痩せ方をいうのだろうか。

9月20日、日曜。

毎朝体重を量っているが、この日は47.3キロ。スーパーへ買い出しに行くが、食欲がない。手っ取り早く栄養が付けられるものをと、バナナ、それに好物の海老せんべいを買ってくる(普段は果物もお菓子もあまり食べない。果物は体が冷えるため)。

鼻水が止まらない。風邪なんてここ10年以上引いた覚えがないのに、風邪気味のような症状。

9月21日。

朝の着替え。いつものように立ったままチノパンを履こうとしたら転んでしまった。朝は関節が固まったようで、思うように動かない。鼻水、たまに咳、微熱もある。

前日からMacのネットがうまくつながらず、ルーターのせいかもとメーカーに電話をするが、担当者と話せるまで25分も待たされた(待ち時間も有料って、どういうこと?)。アドバイスに従って、重い体にむち打ち、自転車で家電販売店へルーターとLANケーブル、LANアダプタ、USBハブを買いに走るが、やはりつながらず。

ネットはケーブルテレビでつないでいるので、そこのサービスセンターに電話し、ようやく解決。最初からこちらに電話すればよかった。買ったばかりのケーブルとアダプタが不要だと知り呆然。いつか使う機会が訪れることを祈る。

機械関係は昔から苦手。一体自分が何をしているのか、何をさせられているのか、さっぱり分からない。振り回されて、疲れ切って、余計嫌になる。しかも放射線治療の影響のせいか、こんなに体がしんどいときに。

おばさんは丸め込まれる

というように、こちらがその分野に詳しくないと、足下を見られて、いい加減なことを教えられたり、余分な時間や労力、金銭を支払わされることってある。女ということで見下されて軽い扱いをされたり、怖い目にあったり。性的に危険を感じることは若い頃に比べてなくなったが(とはいえ70代の女性がレイプされた話を聞いたことがあるから、いつまで気を張ってなきゃいけないのか、考えるだに疲れますが)、代わりに歳を重ねてきたことで別の不利益を被っていることを実感するようになってきたわけです。

いちいち目くじら立てていたらオンナ業は続けられないので、(大勢に影響がなければ)スルーしているが、こと命に関わることだと黙っているわけにはいかない。

たとえば、私のように、医師に放射線治療を受けたいと訴えたのに、見えすいた嘘をつかれて、絶対手術のほうがいいと言いくるめられそうになったり。この医師、相手が男だったり、おばさんでも夫が一緒だった場合でも、同じように手術に誘導したのだろうか。

ある集まりで、肺がん手術を受けた60代の女性からこんな話を聞いた。

がんの診断を受けた後、彼女はいろいろな治療法を検討するつもりだったのに、男性医師から「手術を急いだほうがいい。あなたのためにほかの診療科の先生たちとチームを組んだ。みんなのスケジュールが空いているのはこの日。この時間に手術を受けて」と一方的に決められ、「そんなに私のがんは悪いのか。忙しい先生たちが私のために骨を折ってくれているのに、断ったら申し訳ない」と、彼女はゆっくり考える時間を与えられる間もなく同意書にサイン、そのままベルトコンベアに乗せられて手術室へ送り込まれてしまった。

術後、痛みが取れず、こんなはずじゃなかったと後悔すると同時に、医師への不信感と怒りが収まらなかった彼女は、知り合いの男性がんサバイバーに相談。すると同情されるどころか「自分で選んだんだからしょうがない」と冷たい言葉を返されたそうだ。

彼女は、できるなら医師を訴えたいというくらいの勢いだったので、彼はいさめる気持ちもあって、そんな言葉をかけたのかも。だって切られた肺は戻ってこない、手術に同意している以上、どうしようもない、下手な希望を持つほうが残酷だからと。

でも、これを自己責任といえるのでしょうか。はたから見てると、彼女は人のよさにつけ込まれて(そしてだまされて)、まんまと手術に追い込まれたとしか思えない(医師にとっては、人のいいおばさんを丸め込むなど赤子の手をひねるより簡単だったかも)。

おばさんはものを知らない、考えない、夫の言いなり、息子のいいなり。故に扱いやすい。どんくさい、物覚えが悪い、情にほだされやすい。事を荒立てたくないので、文句を言ってこない。図々しい、あつかましい。自分だけは危険なことに巻き込まれないと根拠もなく信じ込んでいる・・・。

50を過ぎてから、周囲からそんなふうに思われてるんだろうな、だからなめられるんだろうな、と感じる場面がちょくちょくある(夫も息子もいませんが)。

これまでは女だからという性差別(セクシズム)だけだったのが、これから歳を重ねるごとに年齢差別(エイジズム)も受けることになるだろうと予想すると、ぞっとしない。

でも、不当だ、おかしい、道理に合わないと思っても、それを口に出さなければ、何も考えていないと相手に受け取られても仕方がない。だから面倒でも言うしかない。「私はこう思います。こうしたいんです!」と(我ながら疲れますが)。

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