2016年12月 3冊の「がん患者」本

・「がん患者力」NHK「がんプロジェクト」取材班著(主婦と生活社)

・「がん患者」鳥越俊太郎著(講談社)

・「がん患者学1〜3」柳原和子著(中公文庫)

中日新聞の新貧乏物語と「がん患者力」

このブログを始めたのは2016年12月5日だが、その2週間後の12月19日、中日新聞(以下、中日)に「がんサバイバー」の見出しを見つけた。中日は名古屋圏ではシェアNo.1を誇るブロック紙(東京新聞と同じ系列)で、実家でもずっと取っていた。中日はこの年の1月から「新貧乏物語」という現代の貧困問題を扱った連載を不定期で掲載していたが、19日からスタートした第8部が、「がんサバイバー」だ。

高価な薬代を払い続けられず抗がん剤治療を断念する人、治療とそれに伴う体調不良で満足に仕事できず、会社に迷惑をかけられないと退職する人。

そう、仕事を辞めざるを得なかった人が未だ3割もいる(2015年調査)という記事を見て愕然とした。

以前にブログで紹介した「がん患者力」(NHK「がんプロジェクト」取材班著)にも、がんになって以前の仕事を失った人は3割を超えるとあった。本が出たのは2013年だが調査はもっと前だと思うので、がんによる離職者の割合は減っていないことになる。また本には、経済的な理由で治療を受けられない「がんの経済難民」が増加しているとあったが、中日の記事を見ると、年を経るごとにその数はさらに増えているようだ。

でっちあげ記事(写真)の検証記事

ちょっと話は変わりますが、この「新貧乏物語」の5月の記事に使われた写真がやらせだったことが10月に判明し、中日はなぜ、やらせ写真が掲載に至ったかの徹底検証を外部委員を入れて行った。見開きを使って検証していたが、「よくやった」というより「何でここまでやるの?」という違和感のほうが強かった。

その後、ジャーナリストの鳥越俊太郎の「がん患者」を読んでいて、中日の検証記事のルーツはもしかしたらこれなのかもと思い当たる記述があった。

1982年、鳥越がアメリカの新聞社へインターンシップ(職場留学)に行ったとき、ワシントン・ポスト紙のピューリッツァー賞を受賞した自社記事がでっちあげだと判明した。ポスト紙はそれを謝罪とお詫びで終わらせず、第三者を招いて徹底的に検証する記事を掲載したという。

鳥越は帰国後、サンデー毎日で副編集長をしていた1986年、エイズのジャパゆきさん事件というねつ造記事を載せ、ポスト紙と同じように検証記事を載せた。ポスト紙は徹底検証したことで、かえって読者の信頼度が高まったそうで、以後、マスコミの世界で徹底検証というのは一種のブームになっているのかなと思った次第ですが、どうなんでしょう。

「がん患者」-2度転移しても元気

で、鳥越俊太郎の「がん患者」ですが、タイトルと表紙の写真には恐れ入った。がんは今や日本人の2人に1人がかかる国民病。それをタイトルにするとは、言ったもん勝ちというか何というか。表紙も、上半身裸で不敵に笑われても、目のやり場に困ります。(図書館で借りて読んだが、買い直しません。部屋に置けないよ〜)。

2015年の年末に、友人の母親の大腸がんが肺へ転移した話を聞いたと書いたが(「2016年1月〜2月 経過観察-2 &足のばち指」)、鳥越も大腸がんが肺、さらに肝臓へ転移し、計4回の手術を受けたそうだ。その顛末を記したのが、「がん患者」。

内容はさすがにジャーナリスト。次々にがんに冒されながらも手術と抗がん剤で乗り越えてきた様が、手に取るように綴られている。闘病しながらも仕事に打ち込み、社交ダンスやマラソンに挑戦し、今が一番元気と言い切り、昨年には東京都知事選に立候補したのはご存知の通り。

何にでも前向きのほうが免疫力が高まって病気にもかかりにくい、という説を地で行くようなしぶとさ、運の良さ。あとから肺がんと診断された友人の筑紫哲也があれよあれよという間に死んでしまうのを尻目に、常人離れした強靱さで生き延びている。

がんは、どうしてこんなに個人差があるのだろう。同じような病期、症状でも、生き延びる人もいれば、命を取られる人もいる。余命を言い渡されても、ずっと生き続ける人もいる。

一体何が違うのか。できるなら生き延びている人にあやかりたい。その話を聞いて参考にしたい・・・。と、治療中のがん患者が思うのは、ずっと以前から変わらないようだ。

生き延びる人と「がん患者学」

ということで、ノンフィクション作家の柳原和子の「がん患者学 長期生存をとげた患者に学ぶ」(晶文社)(のちに別の1冊を加え、「がん患者学1〜3」として刊行)。放射線治療が終わってすぐのころに図書館で借りて読んでいたが、後日買い直した。

卵巣がんの手術から生還した著者が、18人のがんサバイバーに話を聞いている。患者はがんの種類も程度もさまざまで、積極的に治療に取り組んだ人から何も治療しない人、医師からもう治療法がないと見放された人、代替治療に取り組んでいる人などいろいろ。前向きな人も、元気な人も、後悔している人もいるが、とにかく全員が生き延びている。

本の初版は2000年で、インタビューを受けている患者(元患者)が診断されたのが1990年頃が多いせいだろう、医師はがんの告知をせず、患者も病名をあえて聞こうとしない人が多くて驚く。今から25年前だ。告知というのはまだまだ一般的じゃなかったことが読み取れる。

告知しないことをポリシーとしている医師。医師から「男の家族を呼んでくれ」と言われる患者の妻。医師や看護婦(看護師じゃなくて看護婦の頃)、家族の様子から、自分はがんかもしれないと気付く患者。昔の話という気がするが、がんを取り巻く状況は少しずつ少しずつ変化して今のようになったんだと気付かされる。

「がん患者学」には柳原自身の闘病と回復までの過程も収録されている。しかし6年後に再発、肝臓へ転移し、その治療の様子は「百万回の永訣 がん再発日記」(中央公論社)にまとめられた。がんと正面切って向き合い、ぴんと張った糸のように緊張感に満ちた日々。柳原の命を削って活字にしたような言葉を追っていると息苦しくなるほど。

長期生存者からのヒント

きっと多くのがん患者がそうだと思うが、がん治療の果てに死んだ人の話は読みたくない。読むなら、長期生存を果たしている人。どうすれば自分も生き続けられるか、そのヒント、希望がほしくて本に手を伸ばすのだと思う。映像もしかり。

たとえば、NPO法人「肺がん患者の会 ワンステップ」を主宰している長谷川一男さん。2016年4月にEテレで放送されたETV特集「肺がんサバイバー〜余命宣告から6年 命の記録」は食い入るように見た。ステージ4、余命10か月と言われながら7年生存を果たし、今もワンステップや講演などいろいろな活動をしている。その姿を見て、どれほど多くの患者が勇気をもらっていることか。NHKで是非「余命宣告から7年」をやってほしいと思っているのは、私だけではないはずだ。

→続きです。

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