2015年9月-8 C病院へ転院の報告

上級先生はずっと私の担当医?

9月16日、C病院の呼吸器内科へ。上級先生へこれまでのお礼とE病院へ転院する旨、報告に行く。

転院すると告げたら、

「わざわざ来なくてもよかったのに」

相変わらず素っ気ない。しかしE病院のテディ先生から手紙を預かっていたし、気まずく切れたくなかった。転院しても、C病院の呼吸器内科が主科であることは変わりなく・・・、今気付いたが、ということは、私の担当医はずっとこの上級先生ということ? よく分からないが、またお世話になることがないよう願うばかり。しかし何が起きるか分からないのが世の常、人の常。

「今後何かあったとき、またよろしくお願いします」

神妙に頭を下げて診察室を出た。

振り返れば、8月24日、上級先生へ近藤誠セカンドオピニオン外来の内容を報告する日をいつにするか電話で相談したとき、「水曜は休みを取るから金曜にしてほしい」と言われなければ、私は図書館へ行って岸本葉子の本を見つけることも、がんのサポート組織があるのを知ることも、名古屋市がん相談情報サロン「ピアネット」の存在も、名古屋市ではE病院の放射線科の定位放射線治療の成績がいいことを知ることもなかったかもしれない。そのままC病院の放射線科で、不信感を抱きつつ定位放射線治療を受けていたかも。

そう思うと、上級先生が水曜に休みを取ってくれて、本当によかった。別のルートでE病院に辿り着いていたかもしれないが、それは誰にも分からない話だ。

このとき以来、上級先生にも、C病院で最初に診てくれた呼吸器内科のマスク先生、放射線科の美魔女先生と宝塚先生、それに南方系ナースにも会っていない。皆さん、今も忙しく仕事を続けているだろうか。

肺腺がんステージ1Bならまず手術、という自分たちの勧めを振り切って放射線治療を選んだ患者が、転移、再発もなく(今のところ)元気に過ごしていると知ったら、どんな感想を持つのか、ちょっと聞いてみたい気もする。

あとからいろいろ考えた

・セカンドオピニオンを聞きに行った先の病院へ転院するのって、よくあること?(許されること?) はたから見れば、E病院はC病院の患者を奪った、という図になったりしないのか。同時に、私は病院間の仁義を欠く行為をしでかした問題患者ということにならないか(気にしすぎでしょうか)。

・E病院のテディ先生は、「C病院では開胸手術ではなく胸腔鏡下手術を勧められた」と言ったら、意外そうだった。とすると、もしC病院の呼吸器外科へ行っていたら、「胸腔鏡下手術じゃなく開胸手術にします」と言われていたかも。C病院の上級先生は「手術は胸腔鏡下手術だから」だと言っていたが、患者(私)を安心させておいて、呼吸器外科へ送り込む方便だったかも?(疑いすぎ?)

・こういうことを考えると、呼吸器外科でも話を聞きたかったという気もする。怖いものみたさもあるけど、これからがんが再発、転移して、放射線治療ができずに手術となる可能性も否定しきれないので。

・最初にE病院の呼吸器内科を受診し、院内紹介で放射線科へ来た場合、テディ先生は14日のセカンドオピニオンのときと同じような対応をしてくれただろうか。C病院放射線科の美魔女先生のように「手術を勧める」とむげに追い返そうとしなかったか。

・15日にガク先生から受け取った放射線治療の説明書には、「希望により入院での治療も行う」とあった。入院して治療を受ける人って多いのだろうか。回数が多くて遠方から通うのが大変な人は、入院することもあるのかな。

・テディ先生の監修した本を見ると、放射線治療を2週間入院して受けた患者さんの談話が載っていた。同じく放射線治療を受けている同室の患者さんたちと情報交換したり、和気あいあいとして楽しそう。私は放射線治療を受けたサバイバーには2人しか会ったことがないので、ちょっとうらやましい。

患者は口には出さずとも、頭の中でいろいろ考えるのです(自分で納得するまで。うんざりするほど)。

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