余命宣告の罪

Yahoo!のポータルサイトで見つけた西日本新聞の記事「余命宣告トラブル 医師から「1年」、それから5年…仕事や財産手放し困惑」。

成人T細胞白血病というがんで医師から余命1年と宣告された男性が、会社をたたみ、財産を整理し、親族へ別れの手紙も書いたのに、5年経った今も生き続けている。もし余命を言われなかったら、生前整理はしなかった、誤診だったのではないかとして、病院と争っているそうだ。

喜べない延命、喜ばれない延命

本人は死を覚悟して周囲に永の別れをしたのに、5年後も存命。喜ばしいことなんだけど、面目ないというか会わせる顔がないというか、立つ瀬がないのではないか。

先日読んだ里見清一著「医者の逆説」(新潮新書)に似たようなケースがあったのを思いだした。

アメリカの医師の報告で、スーザンという女性がん患者が、分子標的薬で治療→耐性が付き中止→別の化学療法で劇的な効果→効果なくなる→別の遺伝子変異が見つかり、それに合った分子標的薬で治療→腫瘍が増悪→別の治療薬が有効であることが分かる。しかし。

「彼女はもう治療をしなかった。何度も死を覚悟し親しい人に別れを告げた後に治療で復活、そしてまた悪くなる、ということに彼女自身が疲弊してしまい、またそうしたことが自分の愛する人達へ与える影響を懸念したのだという。」

天国と地獄を猛スピードで行ったり来たりしていれば疲れるはず。周りから「死ぬ死ぬ詐欺」と思われても不思議ではないという、嫌な妄想も湧いてくる。

ベストなタイミングのドラマチックな死は、テレビの中にしか存在しないのかもしれません。

医師の言うことはあてにならない

記事では医師や大学教授が、「セカンドオピニオンを受けるべきだった」「医師との信頼関係は必要だが、医師の言うことはあてにならないと思うくらいでいい」「患者は医師の説明をうのみにせず、最終的には自分で判断しないといけない。患者自身も賢くなるべき」というコメントを寄せている。

どれも、しかり! と頷くものばかり。逆にいうと、記事の患者さんの判断が性急すぎたようにも見えてくる。

最後の海外旅行はいつに?

私は肺がんのリンパ節転移が分かったとき、やはり死を覚悟し、担当医に、

「(体力のある)今のうちに、やりたいこと(海外旅行)をしておいたほうがいいか」と聞いたら、「まだそんなこと考えなくていい」と言われた。

それで、まだそれほど差し迫った状態ではないと思うことができた。

以前、今生の思い出に最後の海外旅行をと願ったがん患者が、医師も同行してくれることになった旅行の出発当日に倒れてそれっきりという話を聞いたことがある。

そのため、旅行に行くなら身体が動くうちに、保険を解約してパーッと(後先考えず)行こうと思っていた。しかし、その後、治療が奏功して長生きしたら、それからの暮らしが立ちゆかなくなる。がんで死ぬ前にホームレスになってのたれ死にするかも。

そう思うと慎重にならざるを得ない。いつ死ぬか分かっていれば、逆算してやりたいことをやる、なんて、人生はそう都合よく運ばないのでありました。

2018年7月30日(月曜)

〇体重 50.8 〇BMI 19.2 〇体脂肪率 27.4

■朝

豆乳、野菜ジュース

■お昼

ざるそば(乾麺80グラム。ネギ)、焼きもの(ズッキーニ、カボチャ、エリンギ、シシトウ、厚揚げ。ショウガ醤油)、味噌煮(大根、コンニャク、チクワ。ネギ)

■お八つ

アイスコーヒー

■夕飯

雑穀入りご飯(100グラム)、味噌汁(ワカメ、カボチャ、マイタケ、卵)、ブリの照り焼き(ピーマン)、甘酢和え(小豆、オクラ、トマト)、ゴボウと丸天の煮物

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