吉田沙保里と円谷幸吉

吉田沙保里と楢崎正剛が引退

1月8日、女子レスリングの吉田沙保里と名古屋グランパスのゴールキーパー楢崎正剛が、ともに現役引退を発表しました。

吉田沙保里が10日の引退会見で、記者から「一番印象に残るメダルは?」と聞かれ、2016年のリオデジャネイロオリンピックで優勝できず、銀メダルに終わったことを挙げていた。

そのとき初めて「負けた人ってこういう気持ちなんだと感じた」と言うくらい、彼女は強かった。常勝するのが当たり前だった。

そのせいか、リオ五輪の決勝で破れたときの嘆きっぷりは強烈だった。マットに突っ伏して肩を震わせ、「ごめんなさい」「日本選手の主将として金メダルを取らないといけなかったのに、取り返しのつかないことになってしまった」と泣きじゃくる彼女に、「この人はたくさんのものを背負って試合に臨んでいるのだ」と切なくなった。国民の期待やら、地域や所属団体の願望やら、さまざまな団体や組織の思惑やら、そういったものを一身に背負ってマットに上がっていたはず。

それだけに怖くなった。吉田沙保里はこのあと死ぬんじゃないかと。

もうすっかり疲れ切ってしまって走れません

というのも、1964年の東京オリンピック男子マラソンで銅メダルに輝いた円谷幸吉(つぶらや・こうきち)の姿が頭をよぎったためだ。

円谷は4年後のオリンピックで成績を期待されるあまり、練習に専念しろと婚約を破談にされたり、理解者から引き離されて孤立させられたり、思うように練習できなかったり、身体を壊したりと、理不尽な仕打ち、不幸、災難に立て続けに襲われ、27歳で命を絶ってしまう。1968(昭和43)年1月9日のことだから、ちょうど51年前だ。

「父上様母上様、三日とろろ美味しうございました。」から始まる、あの美しい日本語の遺書は何度読んでも胸が締め付けられる。

私はまだ子どもで円谷幸吉の名前も知らなかったが、あのころ「おいしかったです」なんて気持ち悪い言葉はなかった。

円谷が「父上様母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。」と書き残したように、吉田沙保里も二度と立ち直れないのではないか、マットに上がれないのではないかと心配したが、さすが平成時代の女子。翌日にはいつも通りの明るい笑顔を取り戻していました(杞憂に終わって良かった)。

プレッシャーに押しつぶされないためには、実力があるのは当然だけど、外野の言葉に左右されない強いメンタリティーこそが必要なのかもしれません。

2019年1月11日(金曜)

〇体重 51.2 〇BMI 19.4 〇体脂肪率 27.8

■朝

豆乳、野菜ジュース

■お昼

そば(乾麺80グラム。干しシイタケ、ワカメ、ネギ、かまぼこ)、シメジとチリメンとエビのアヒージョ(ニンニクオイル)、煮物(蓮根、人参、コンニャク、竹輪)、セロリとリンゴ

■お八つ

コーヒー、飴

■夕飯

雑穀入りご飯100グラム、フカヒレスープ(エノキ、小松菜、卵)、ニンニクの茎炒め(タマネギ、人参、エリンギ、厚揚げ、魚肉ソーセージ)

2019年1月12日(土曜)

〇体重 51.1 〇BMI 19.4 〇体脂肪率 28.2

■朝

豆乳、野菜ジュース

■お昼

たらこクリームスパゲティ(乾麺80グラム。海苔)、サラダ(サニーレタス、タマネギ、人参、ブロッコリー、金時豆、チリメン、パプリカ、ゆで卵、オリーブ、くるみ。岩塩、ブラックペッパー、オリーブオイル、バルサミコビネガー)

コーヒー、飴

■夕飯

雑穀入りご飯100グラム、フカヒレスープ(エノキ、小松菜、卵)、豆腐の炒めもの(タマネギ、ブロッコリー、豆腐半丁、エビ)、リンゴ

※マーボー豆腐を作ろうと思ったけど、何か違う。豆板醤が入っているので、それっぽい味にはなっていますが。

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