放射線の照射跡の色が薄くなる
11月25日(土)
久々の遠出、といっても鉄道会社主催のハイキングで祖父江町の銀杏まつりへ。穏やかな秋晴れの下、イチョウ並木や畑の間をのんびりと散策。
深呼吸すると肺の中に生命力にあふれた透明な空気が飛び込んでくる。体の隅々まで浄化され、自然のエネルギーが充填されるようで気持ちよかった。
11月26日(日)
友人たちと栄のギャラリーでグループ展を見た後、食事。解散して1人で買い物。地下街と商業ビルの店をいろいろと回った。予想したほど疲れは出なかった。
夜、お風呂に入る前に背中を鏡に写したら、長く放射線を当てた右側のほうも、かなり色が薄くなっていた。きっともうすぐ元通りになると思う。
たまに咳は出るが、身体が軽くなったような感覚。久々に自然の中を歩いたり、展覧会にも行けた。こんな状態ができるだけ長く続きますように。
再びハイキング
12月2日(土)
またもハイキング。この日は犬山へ。ずっと体がしんどくて外出する気になれなかったけど、体調が良くなると森林浴をしたくなる。
フィトンチッドには人の心身を癒やす成分があるそうだが、自然の中を歩くと確かにその効果があると実感する。開放感と爽快感で駆け出したい気分。縮こまっていた心と体がほぐれ、どんどんと広がっていくよう。自然の力ってすごい。
12月12日(火)
最高気温6度台。空気が冷えると咳が出る。肺炎が心配になる。
飼い猫との別れ
日記には、この頃から自分の体調についての記述はほとんどない。代わりに猫の症状ばかりつづっている。
自分の身体の調子を取り戻すにつれ、猫の具合は坂を下るように悪くなっていった(読み返すのが辛い)。
12月26日、19年間ともに暮らした猫は死去。
もしかしたら、猫は私の身代わりになって死んだのではないか。夏から秋にかけて自分の治療と体調にばかりかまけていて、猫からのSOSに気付いてやれなかったのではないか。私が猫の死を早めたのではないか。
そんな考えがあとからあとから湧いてきて、しばらくの間、後悔と悲しみの淵からなかなか這い上がることができなかった。
→続きです。